■■■■■ あっという間に年末になりそう ■■■■■
気づけば11月下旬、あっという間に年末になりそうです。呪術廻戦にドハマりしておりまする。
2021/11/23 by.tamako
2005・9・23→2013・923 [プロフィール]
今日は私にとって、誕生日よりも大切な日です。
8年前のこの日、この時・・・私は伊豆スカイラインで転倒、ドクターヘリで運ばれました。
この日は命日になるかもしれなかった日なのでw、毎年おとなしくしています。
・・・が、やっぱり毎年この日は出かけるのに最高な気候!どこかに行きたくてウズウズしています。
風が秋に変わりましたね。
通勤の車では、たいてい窓全開で風を受けて走っています。あの頃バイクで全身で風を受けて走っていたように・・・。ツーリング最適な秋、この季節が大好きです。
先日、ついに携帯をiphoneに変えました!
docomoは今月いっぱいSPメールが使えないので、gmailで連絡を取っています。
それには以前使っていたhotmailを転送していて、昨晩少し整理していました。
すると、ブログをみてメールくださった方々や、JWで知り合った方々との初メッセージが!
今は当たり前に話をしたり連絡を取っている方とも、8年前までは知りえていなかった。
まして、車いすになっていなければご縁もなかった方ばかり。
この8年間を振り返ってみると、いろんなことがありました。
楽しいことも、つらいことも、苦しいことも、嬉しいことも・・・でも自分自身できるかぎりの努力は精一杯してきたと思います。特に、神奈川リハに入院していた頃は、自由に動きたくて、車いすに自分で乗り降りしたくて、必死にリハビリしました。
リハビリの時間が終わったあと、毎回1時間自主トレは当たり前。
夜ごはんの後は、テレビを見ながら動かない足をマッサージ、イメトレをしました。
就寝時間(確か9時だった)の後も、真っ暗な中、500gのウェイトを上げ下げしたり・・・。
今思うと、人生でこれ以上ないほど努力をしたと、自分でも褒めたいくらいです。
(・・・今全然できていないので余計そう思います。汗)
車イスになるまで、身体を動かすことは嫌いではありませんでしたが、筋肉トレとか大嫌いで、
学生時代の部活もほとんどやっていなかった私だったのに、今じゃ、健常者の人以上にトレーニングして、体を週2回2時間びっちり運動しています。
もしかして、人は人生で必ず1度は、必死に何かに取り組んで努力する時があるのかもしれません。
努力した!なんて書きましたが、すべて順調ではありませんでした。
脊髄損傷になって、体の不自由さに何回泣いたかわかりません。何回死にたい!って思ったか分かりません。
リハビリだって、すべて順調ではなく、何か月もプッシュアップを練習しても、お尻は浮きませんでした。
くじけては、立ち上がり、それでも凹んでは気持ちを切り替え・・・その度少しずつ強くなっていきました。
一度だけ、大泣きしながら電話をかけたこともありました。
そんなとき、優しく受け止めてくれる人がいたからこそ、私はここまでくることができました。
入院中自分がこんなに頑張ってこれたのは、自分だけの力じゃないです。周りのサポートがあったからこそです。
リハビリできる病院を探して、直接申し込みに行って入院許可をとってくれた家族。
自分では起き上がることもできなかった時に、お見舞いに来てくれたり手紙をくれた大切な仲間たち。
「1日でも早く元気になって!」と千羽鶴やお手紙、応援メッセージ、スマイルアゲインの歌をテープに入れて励ましてくれた教え子たち。
1日でも早く動けるように、とリハビリをしてくださった先生たち。
少しでも自由を広げられるように、モチベーションを高めてくれた、傍で支えてくれた大切な人。
そして、つらさも苦しみも共有して、それでもがんばっていこうねって、励まし合った仲間。
力をあわせて、病院の外に出て楽しさを共有した仲間。一人じゃ不安でも、仲間となら外出できた。
復職して不安だった時に、優しく声をかけてくれた友だち。私のことを助けてくださり、一緒に働いている仲間。
そして・・・このブログをみてくださっている方々。
本当に、本当に、ありがとう!
私にかかわってくださった全ての方に、感謝しています。
こうして今私が生きているのも、頑張れているのも、あなたがいて力をくれたから、って。
8年たって今思うことは、
車イスには慣れたけど、けれども不自由なことはいっぱいあって、それでもやぱり私の最終目標は
「事故の前のように、歩行して生活をしていきたい。」 ということです。
そのためには、身体を維持するためではなく、機能向上するためのトレーニングが必要です。
たくさんの人の理解と協力と、そしてたくさんの時間とお金を費やして、私はトレーニングを続けています。
それは、身体の維持を必要としているのではなく、「歩けるようになるため」に必要なんです。
昔、JWの渡辺さんに言われました。
「何がしたい?どうなりたい?」
「体の維持がしたいの?それとも歩けるようになりたいの?」
車イスだから無理でしょ?
車イスになったんだから、いつまで夢見ているの?
そう言われ続けていた私にとって、衝撃な言葉でした。
「歩けるようになりたい、もういちど立って歩いて教壇に立ちたい!」
そう言った私に、渡辺さんは言いました。
「自分は手助けはできるけど、やるのはtamakoさんだから。その気持ちに僕は賭けます。1分でも1秒でも早く良くなるように、自分の体の変化に敏感になってトレーニングを頑張りましょう!」
あの日から、私の中に小さな炎が宿りました。
8年たっても、その炎は私の中にあります。
時々くすぶってしまうときもありますが、炎が消えることは一度もありません。
それでも、自分が思うように、そう簡単には歩行にはいきません。
それほど歩行ということは難しい動きでもあります。
時間はかかるかもしれないけど、それでも私は一歩でも前に進みたい。
何もしないよりは、何かした方が、しないよりも必ず何かが変わる!そう思っています。
脊髄損傷になりたての方、大切な人が脊髄損傷になってしまった方へ。
希望は捨てなくていいんですよ。
いくら「もう一生歩けない」って言われても、真に受けることないんですよ。
医師は「絶対に治る」という根拠がない限り、そうとしか言えないんです。
自分の心で「歩くんだ!」って思っていても、いいんです。諦めなくてもいいんです。
例え口にしなくても、心に炎を灯してそれを叶える努力さえしていれば、きっと誰かが手を差し伸べてくれます。
良い方向に道を指し示してくれます。
けれど、思っているだけではダメです。
何でもいい、良いと思うこと1つでも始めましょう、続けましょう。そこには「努力」が必要です。
今では、再生医療という道が明るく開けて来ています。
私が脊髄損傷になった8年前とは状況が変わってきています。
脊髄損傷のマウスなら慢性期も歩行改善されるという結果も出ています。
5年以内に臨床に入るとも宣言されています。希望はここにもあります。
文章がとっても長くなりましたが、8年間を振り返ってみました。
9年目も「感謝」を忘れずに、モチベーションをうまく保ちながらこれからも頑張っていきます!
これからもtamakoもブログも、よろしくお願いします!! (^-^)
8年前のこの日、この時・・・私は伊豆スカイラインで転倒、ドクターヘリで運ばれました。
この日は命日になるかもしれなかった日なのでw、毎年おとなしくしています。
・・・が、やっぱり毎年この日は出かけるのに最高な気候!どこかに行きたくてウズウズしています。
風が秋に変わりましたね。
通勤の車では、たいてい窓全開で風を受けて走っています。あの頃バイクで全身で風を受けて走っていたように・・・。ツーリング最適な秋、この季節が大好きです。
先日、ついに携帯をiphoneに変えました!
docomoは今月いっぱいSPメールが使えないので、gmailで連絡を取っています。
それには以前使っていたhotmailを転送していて、昨晩少し整理していました。
すると、ブログをみてメールくださった方々や、JWで知り合った方々との初メッセージが!
今は当たり前に話をしたり連絡を取っている方とも、8年前までは知りえていなかった。
まして、車いすになっていなければご縁もなかった方ばかり。
この8年間を振り返ってみると、いろんなことがありました。
楽しいことも、つらいことも、苦しいことも、嬉しいことも・・・でも自分自身できるかぎりの努力は精一杯してきたと思います。特に、神奈川リハに入院していた頃は、自由に動きたくて、車いすに自分で乗り降りしたくて、必死にリハビリしました。
リハビリの時間が終わったあと、毎回1時間自主トレは当たり前。
夜ごはんの後は、テレビを見ながら動かない足をマッサージ、イメトレをしました。
就寝時間(確か9時だった)の後も、真っ暗な中、500gのウェイトを上げ下げしたり・・・。
今思うと、人生でこれ以上ないほど努力をしたと、自分でも褒めたいくらいです。
(・・・今全然できていないので余計そう思います。汗)
車イスになるまで、身体を動かすことは嫌いではありませんでしたが、筋肉トレとか大嫌いで、
学生時代の部活もほとんどやっていなかった私だったのに、今じゃ、健常者の人以上にトレーニングして、体を週2回2時間びっちり運動しています。
もしかして、人は人生で必ず1度は、必死に何かに取り組んで努力する時があるのかもしれません。
努力した!なんて書きましたが、すべて順調ではありませんでした。
脊髄損傷になって、体の不自由さに何回泣いたかわかりません。何回死にたい!って思ったか分かりません。
リハビリだって、すべて順調ではなく、何か月もプッシュアップを練習しても、お尻は浮きませんでした。
くじけては、立ち上がり、それでも凹んでは気持ちを切り替え・・・その度少しずつ強くなっていきました。
一度だけ、大泣きしながら電話をかけたこともありました。
そんなとき、優しく受け止めてくれる人がいたからこそ、私はここまでくることができました。
入院中自分がこんなに頑張ってこれたのは、自分だけの力じゃないです。周りのサポートがあったからこそです。
リハビリできる病院を探して、直接申し込みに行って入院許可をとってくれた家族。
自分では起き上がることもできなかった時に、お見舞いに来てくれたり手紙をくれた大切な仲間たち。
「1日でも早く元気になって!」と千羽鶴やお手紙、応援メッセージ、スマイルアゲインの歌をテープに入れて励ましてくれた教え子たち。
1日でも早く動けるように、とリハビリをしてくださった先生たち。
少しでも自由を広げられるように、モチベーションを高めてくれた、傍で支えてくれた大切な人。
そして、つらさも苦しみも共有して、それでもがんばっていこうねって、励まし合った仲間。
力をあわせて、病院の外に出て楽しさを共有した仲間。一人じゃ不安でも、仲間となら外出できた。
復職して不安だった時に、優しく声をかけてくれた友だち。私のことを助けてくださり、一緒に働いている仲間。
そして・・・このブログをみてくださっている方々。
本当に、本当に、ありがとう!
私にかかわってくださった全ての方に、感謝しています。
こうして今私が生きているのも、頑張れているのも、あなたがいて力をくれたから、って。
8年たって今思うことは、
車イスには慣れたけど、けれども不自由なことはいっぱいあって、それでもやぱり私の最終目標は
「事故の前のように、歩行して生活をしていきたい。」 ということです。
そのためには、身体を維持するためではなく、機能向上するためのトレーニングが必要です。
たくさんの人の理解と協力と、そしてたくさんの時間とお金を費やして、私はトレーニングを続けています。
それは、身体の維持を必要としているのではなく、「歩けるようになるため」に必要なんです。
昔、JWの渡辺さんに言われました。
「何がしたい?どうなりたい?」
「体の維持がしたいの?それとも歩けるようになりたいの?」
車イスだから無理でしょ?
車イスになったんだから、いつまで夢見ているの?
そう言われ続けていた私にとって、衝撃な言葉でした。
「歩けるようになりたい、もういちど立って歩いて教壇に立ちたい!」
そう言った私に、渡辺さんは言いました。
「自分は手助けはできるけど、やるのはtamakoさんだから。その気持ちに僕は賭けます。1分でも1秒でも早く良くなるように、自分の体の変化に敏感になってトレーニングを頑張りましょう!」
あの日から、私の中に小さな炎が宿りました。
8年たっても、その炎は私の中にあります。
時々くすぶってしまうときもありますが、炎が消えることは一度もありません。
それでも、自分が思うように、そう簡単には歩行にはいきません。
それほど歩行ということは難しい動きでもあります。
時間はかかるかもしれないけど、それでも私は一歩でも前に進みたい。
何もしないよりは、何かした方が、しないよりも必ず何かが変わる!そう思っています。
脊髄損傷になりたての方、大切な人が脊髄損傷になってしまった方へ。
希望は捨てなくていいんですよ。
いくら「もう一生歩けない」って言われても、真に受けることないんですよ。
医師は「絶対に治る」という根拠がない限り、そうとしか言えないんです。
自分の心で「歩くんだ!」って思っていても、いいんです。諦めなくてもいいんです。
例え口にしなくても、心に炎を灯してそれを叶える努力さえしていれば、きっと誰かが手を差し伸べてくれます。
良い方向に道を指し示してくれます。
けれど、思っているだけではダメです。
何でもいい、良いと思うこと1つでも始めましょう、続けましょう。そこには「努力」が必要です。
今では、再生医療という道が明るく開けて来ています。
私が脊髄損傷になった8年前とは状況が変わってきています。
脊髄損傷のマウスなら慢性期も歩行改善されるという結果も出ています。
5年以内に臨床に入るとも宣言されています。希望はここにもあります。
文章がとっても長くなりましたが、8年間を振り返ってみました。
9年目も「感謝」を忘れずに、モチベーションをうまく保ちながらこれからも頑張っていきます!
これからもtamakoもブログも、よろしくお願いします!! (^-^)
2013-09-23 12:02
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コメント(8)
相互リンクのみ受付けています。許可のない当ブログリンクは固くお断りします。
私は脊髄損傷になり8年半です、同じくらいの時を過ごすtamakoさんの話身にしみます、人とのかかわりの力の思いもよくわかります、同じ境遇の人や、失意の人にも元気を与えたりtamakoさん自身のためにも旗を振り続けてください、元気もらっていますよ。
by taku-tyan (2013-09-24 08:27)
僕の命日(!?)は4月14日です。
箱根の長尾峠下りでバイク事故、Dr.ヘリで伊豆長岡順天堂→神奈リハ→横リハと1.5年遅れで追い掛けてました、不思議な縁を勝手に感じています。
& tamakoさんのリハ生活を想像して、勝手にホッとしたり心配したりしています。
僕は頚損の四肢麻痺(不全)です。
医師には「一生、介助付き車椅子生活です、早く家の改修をして退院です」と云われましたが、素直に受け入れられませんでした。
退院は介助付き車椅子でした、車椅子も歩行もどちらも大変なら、今後、歩行を選択すれば車椅子の積み込み上げ下ろし(カミさんですが)が無くなるので、歩行を選択。
杖(手)が上手く使えないので、杖なし歩行を選択(杖を管理するストレスから開放)。
椅子に座っての着替えは大変、だから立って着替え。
小トイレも、洋式では排出の実感が薄くストレスでした、ある日の床屋さん、飛び込んだトイレは汽車便座(床から20cm上がった和式)、ガマン出来ず立ちション(レディのブログで失礼)。
寝てても起きてても、身の置き所が定まらず、だったら起きてよう。
選択を迫られた時、自分なりに楽な方(プレッシャーを掛けない)を選択して来た結果の6.5年です。
頑張るはストレスになるので、頑張らないのお陰で、モチベーションが維持出来てます。
ガンバルがパワーになるtamakoさん VS ガンバラナイパワーのドカおやじです。
PS 今日は、月1回のOT.PT.外来で神奈リハへ行って来ました。
初めて立てた時、初めて1っ歩踏み出せた時、ホッとする一言を言ってくれた人達との再会・出逢いのお陰で定点観測が出来てます、有り難いです。
誰に(何に)逢えたか、は大きいですね、結果的にしか言えませんが。
PPS. 何処かの峠で女性ライダーとバッタリ「貴女がtamakoさん!!!、僕がドカおやじです!!」、その時はドカよろしく!。
by ハマのドカおやじ (2013-09-27 22:34)
私は、2年半ほど前に血腫から脊髄を損傷し、全くの健康体から車椅子の生活になりました。私も、以前と同じように歩くことを目標に、自宅で仕事をしながらリハビリする毎日を送っています。今まで、ネガティブになって前向きになれない時、tamakoさんのブログを読んで、勇気付けられたり、目標や方向が見えたことが何度もありました。感謝です。これからも楽しみにしています。
by sato-chan (2013-10-06 05:18)
> taku-tyanさん
メッセージありがとうございます!
そういっていただけると、私もブログを書いてきてよかったなぁ~と思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
by tamako (2013-10-23 20:17)
>ハマのドカおやじさん
ストレスをパワーに変えてたくさんのことを乗り越えてきていらっしゃるじゃないですかー!(^-^)
いつか一緒にツーリングしに行きたいですね!
私はまたへっぴり腰からやりなおしかなぁ~。w
ハマのドカおやじさんと経歴がほとんど同じコトにビックリ!
by tamako (2013-10-23 20:20)
>sato-chan さん
コメントありがとうございました!sato-chanさんもご自宅でお仕事にリハビリに頑張っていらっしゃるんですね。
私もsato-chanさんのコメントを読んで、ガンバロウって元気もらいました。
これからもブログ共々よろしくお願いいたします!
by tamako (2013-10-23 20:22)
私は、主人を五年前に亡くして子供と2人の生活に不安を抱えてる時に、近所と代行にセクハラにあいました。その時相談にのってくれてた男性にお金を騙されてパニックになってました。そしてやってはいけない自殺未遂をしてしまいました。脊髄損傷、一生車椅子と言われたそうです。子供は施設に、私はなにくそ頑張って歩けるようになろうと、リハビリステーションで必死で頑張ったのですが、そこは脊髄損傷専門ではなく筋トレ中心でした。何度も頑張って子供を手元にと、でも未だに離ればなれです。今でも、諦めたくなります。私の命日は8 月9日まだ3年ですが精神的にも落ち込む事が多く、同じことをしてしまい時があります。何一つ出来ない自分に苛立ちばかりです。等級も5級お金も何もかもうまくいってない状態です。今は、嫌で仕方ありません。すみません、こんな私の話しで
by かおたん (2015-05-22 18:30)
> かおたん さん
はじめまして!ブログを読んでくださり、ありがとうございます。そしてコメントも書き込んでくださりありがとうございます。お返事が遅くなってしまい申し訳ございません。
たくさんお辛い思いをされて、それでも踏ん張ってここまで頑張ってこられていること、心をうたれました。不安な思い、焦る思い、自己嫌悪、きっと私が想像できないたくさんの葛藤と戦われてこられているのですね。
脊髄損傷は、すぐに何かできるようになる、という障害ではないですよね。それでもやった分だけ少しずつでも動けるように自由を掴み取れると思っております。少しずつ、少しずつ、1つ1つクリアしていけば、気づいたころに大きな一歩になると私は信じています。
かおたんさんは、十分に頑張っておられます。まずは小さい目標からです。かおたんさんの葛藤と戦っていること、リハビリも頑張っていること、きっとお子様に伝わると思います!
by tamako (2015-07-06 22:10)